8月24日
前夜からの雨が勢いを増して降り続いていた。
遊びに来ていた義姉が帰る予定になっていた。
午後からソフトバレーの練習があるので、それに併せて駅まで送ることになった。
入院中の義父に挨拶するため、病院に行った。
「雨が強いから帰るの延期する?」などと冗談を言いながら家を出た。
その後、ファミレスで昼食を取り、義姉を駅まで送ると、ソフトバレーの練習に向かった。
練習後、一旦家に戻り着替えると、夕食を食べに出かけた。
外食から帰って、子供と入った風呂から上がった8時半ごろに電話が鳴った。
病院から「義父の様態がおかしいのですぐ来てほしい」と言うものだった。
急ぎ子供たちを連れて、車で病院へ向かった。
子供たちに病室で騒がれても困るので、妻に様子を見に行ってもらうことにした。
私は車の中で、子供たちにおじいちゃんが死んでしまうかもしれないことを告げた。
4歳の長男は少し神妙な顔をしていたが、2歳の次男には何のことか分からないようだった。
しばらくすると妻から携帯に連絡が入った。
もう冷たくなっているとのことだった。
子供たちに「おじいちゃん死んじゃったって」と言うと、長男が泣き出した。
「会いに来てほしかったのに」と言って泣いていた。
少し落ち着くのを待って、病室へ向かった。
守衛さんが泣いている長男に「機嫌悪いのかい?泣いてておかしいな」と話しかけてくれたが、私は「いいんだよ」と言って長男の頭をなでてやった。
病室に着くと義父はベッドの上に横たわっていた。
長男がまた声を出して泣き出した。
つられて私も少し泣いた。
横で妻が声を殺して泣いていた。
次男は良く分からないまま、妻を慰めていた。
介護師の話では、「夕食を普段通り食べた後、普通に会話していたが、1時間ほどしてオムツの交換に行ったところ、息をしていなかった。」とのことだった。
最期を誰も看ていなかったようだが、1時間の間に急変し、ナースコールを押すことも無かったのだから、それ程苦しまなかったのだろうと、それだけは少し安堵した。
冷たくなった義父と家に帰った。
区切りがついたのか、長男はもう泣くことは無かった。
日中、義父に会ったときに「今の家は…、大阪のマンションは…」と遺産がらみの話をしていたらしい。
「一通り整理して、安心しちゃったのかね」と妻と話した。
翌朝、義姉一家が大阪から来てくれた。
前日に新幹線で大阪へ帰り、早朝に車で静岡まで来るということになってしまったが、駆けつけてくれた。
義兄が仕事で通夜に出られないのと、義父の家に私が住んでいる関係で、私が喪主を務めることになった。
収骨の際に抱っこされている次男が、「みんなで わらうんだWaッ」と私の耳元で小声で歌いだした。
滲み出る涙を堪えて、抱きしめた。
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